関門海峡は潮の流れの変化が激しく
水軍の運用に長けた平氏軍はこれを熟知しており、早い潮の流れに乗ってさんざんに矢を射かけて、海戦に慣れない坂東武者の義経軍を押した。
義経軍は満珠島・干珠島のあたりにまで追いやられ、勢いに乗った平氏軍は義経を討ち取ろうと攻めかかる。
ここで不利を悟った義経が敵船の水手・梶取を射るよう命じ、この時代の海戦では非戦闘員の水手・梶取を射ることは戦の作法に反する行為だったが、義経はあえてその掟破りを行って戦況が変化した。
とする話がドラマや小説等でよく知られているが、『平家物語』に義経が水手・梶取を射るよう命じる場面はなく、平氏の敗色が濃くなった「先帝身投」の段階で源氏方が平家の船に乗り移り、水手や船頭が殺されたと描かれている。
また『平家物語』では阿波重能の水軍300艘が寝返って平氏軍の唐船の計略を義経に告げ、知盛の作戦は失敗し平家の敗北は決定的になったとする。
義経軍は満珠島・干珠島のあたりにまで追いやられ、勢いに乗った平氏軍は義経を討ち取ろうと攻めかかる。
ここで不利を悟った義経が敵船の水手・梶取を射るよう命じ、この時代の海戦では非戦闘員の水手・梶取を射ることは戦の作法に反する行為だったが、義経はあえてその掟破りを行って戦況が変化した。
とする話がドラマや小説等でよく知られているが、『平家物語』に義経が水手・梶取を射るよう命じる場面はなく、平氏の敗色が濃くなった「先帝身投」の段階で源氏方が平家の船に乗り移り、水手や船頭が殺されたと描かれている。
また『平家物語』では阿波重能の水軍300艘が寝返って平氏軍の唐船の計略を義経に告げ、知盛の作戦は失敗し平家の敗北は決定的になったとする。
update:2010年03月06日
